自分の顔(市)に誇りと自信を     青年市長ニッポンの新世紀 (2000年10月10日刊掲載)

 「地方主権社会」へのメッセージ 

東京都稲城市長石川 良一

 38歳で市長当選。ところが……
 平成3年4月22日激しかった戦いも終わり、稲城市長選挙の開票の日を迎えました。私は1回目の開票発表が始まる頃に、「やるべきことはすべてやった。後は天命を待つのみ」という心境で事務所に到着しました。応援者たちも同じように比較的明るい面持ちでした。ところが2回目の発表あたりから差がつきはじめ、その後も1000票近く差が開いてしまい、相手陣営ではもう赤飯が炊かれているという噂とも推測ともつかない話が伝わり、事務所は、暗い雰囲気に覆われまし た。私の頭の中も、「落選」の2文字がかけめぐり、覚悟はしていたとはいえ、祈るような思いで開票を待ちました。ただ選挙を多く経験したつわ者は「現職の票を先に開けるものだ」と激励してくれました。
 最後の票が開き約200票逆転して当確との情報がもたらされると、事務所は「万歳・万歳」と天と地がひっくりかえったような騒ぎとなりました。38歳では若すぎるといわれた候補者が、どこの政党の推薦も支持もなく、またかつてどの政党にも所属したこともなく、むろん政治家の名門の家柄などでもなく、稲城の選挙の歴史を変えてしまったことだけは確かでした。しかし政治の歴史を変えられるかどうかはこれからでした。
 5月の連休後、初めて議員と対面する全員協議会が開催されました。議員一人ひとりの自己紹介の後、私が型どおりの挨拶を行いました。しかし拍手も野次もなく部屋が一瞬凍りついたような沈黙に包まれました。私はこの一瞬に、これからの進む道の困難さが象徴されているように思われ、緊張と不安におののいていました。

 政策の第一歩は資産公開から
 新市長は市長の部屋の模様変えをするようだという「噂」がまことしやかに流れましたが、私は部屋はすべて今までどおりでよしとしました。各種団体からの出席要請も今までの市長と同じように続けるよう指示しました。まず手がけたことは、職員との対話で、部長職とは昼食時に一人ひとりと行いました。市民とも全地域を回って懇談する会と、要請があれば随時懇談する「市民懇談会」を制度化しました。
 次に、政治倫理に対する姿勢を明らかにするために、東日本の市長として初めて自分と妻子も含めた資産公開をチェック機関も併せて設置する条例を制定しました。
 応援者の中には改革の速度が遅すぎて見えないという批判もありましたが、まずはできることからと腹を据えてかかりました。
 選挙をともに戦った議員はわずかで、当初は議会も混乱しましたが、一つひとつ施策を重ねることによって氷が少しずつ解けていくように理解と支援を得られるようになりました。
 

 市長職の厳しさ
 私の市議会議員時代(2期8年)は、攻める立場だったためか行政や職員に対しても猜疑心が先立ちましたが、立場逆転となり、まず職員の思考回路や責任や立場を理解し、スムーズに仕事を進めるためには職員を信頼することが第一歩であることを学びました。
 トップダウンでも仕事はボトムアップでしか具体化しません。またあらゆる発言を公人と私人に分けることをしないことにしました。結局どのような行動や発言も公の場で問われる立場だからです。攻める市議、受ける市長、両方を体験することで人間的にも大きく成長できたような気がします。
 市長職でつらいのは集会・議会・宴会の3会などと言われますが、前2つは当然としても宴会は時期によるとすさまじいものがありました。ですからアルコールはいっさい駄目というのも一つの方法かもしれません(私の場合は違いますが)。実際に一番辛いのは予算編成です。予算は付けていくというよりは、沢山のやりたい仕事の中で予算枠にはめていくために、次々と事業を切っていく辛い作業となるからです。
 

 全国初成績評価をボーナスに反映
 市長として仕事を始めて一番驚いたことは、職員が時代の変化にうといことと、あまりの平等主義の根深さでした。機会の平等だけでなく、結果の平等も徹底的に保障してきており、努力してもしなくても結果は同じというものです。
 まず職員の意識改革のために、電話で必ず自分の名前を名乗ることから始めました。
 次に市役所一階の総合窓口案内を全職員がローテーションで始めました。
 また職員が退職すると自治功労者として表彰される制度を廃止しました。さらに10年、20年、30年の永年勤続表彰も25年1回としました。
 日帰りの日当なども廃止しました。
 平成5年には完全職務給与体系に移行し、平成6年から人事考課制度を導入し、昇任、昇格に職員の勤務成績評価を反映させることを始め、すでに成績評価の本人開示もおこなっています。
 平成11年12月から全国で初めて全職員対象に期末勤勉手当(ボーナス)を成績評価によって支給する制度を導入しました。
 また市立病院の医師に対しても、平成12年度から独自の考課表を用いて実施、目標管理制度、職員提案制度、業績の優秀だった職員を表彰する制度も導入しました。行政の構造改革を早急に進めないと、公務員制度は時代から取り残されることは明らかです。
 

 市民主体の公園整備事業
 本市は、市内に網の目のように多くの農業用水が流れて、親水性豊かな街です。
 この用水の整備は多くの財源を必要とします。厳しい財政状況の中、水路整備を進めるために市民主体で親水公園を造ることにしました。
 地域市民がボランティアで作業に当たり、わずか700万円ほどの費用で雑草地が鯉が泳ぐ池となり、知恵をこらした公園に、生まれ変わりました。園内には共同の畑があり季節ごとの野菜の味を楽しんでいます。特にふだん口をきいたこともなかった人が作業を通じて街でも挨拶するようになったことはうれしいことです。
 

 稲城大橋開通す
 本市は多摩ニュータウンの玄関に当たる位置にあり、住宅づくりが進みつつあり、交通基盤の整備は最大の課題となっていました。
 平成7年4月中央高速道路に直接乗り入れられる稲城大橋は、事業認可からわかずか6年で完成し、新宿まで車で20分程で行けるようになりました。
 もう一つの大事業、JR南武線4.3km区間の高架事業に、今全力でとりかかっています。
 

 全国初免震工法の市立病院
 平成10年に、290ベッド規模の病院としては、地震に強い免震工法を取り入れた全国初の市立病院がオープンしました。
 各ベッドに窓が付く構造で、各階に図書コーナーを設けました。
 また近くの湧水をトイレなどで活用して、1999年度の医療福祉建築賞に輝きました。
 病院ボランティアの募集で、院内の案内や患者さんの付き添いなど、市民が活躍しています。
 

 急速に進んだリサイクル
 現在、稲城市では13分別のゴミと資源物の収集を実施しています。
 さらに市内にある一部事務組合クリーンセンター多摩川では、燃やされるゴミのサーマルリサイクルとして最大で6000KWの発電が行なわれています。
 また灰は溶融装置によってスラグ(砂)として建設材としてリサイクルされています。
 また1.2km離れた市立病院へ高温水を送り、冷暖房をはじめとする病院の熱源を賄う管の埋設工事を現在進めています。
 

 市民が作る環境美化条例
 缶やタバコなどのポイ捨てをやめ、美しい環境をつくっていくことは皆の願いです。
 そこで本市では、市民が主体となって条例をつくり、市民運動的に条例が生きる街にしようということになりました。
 平成11年から約1年かけ51団体84人の委員による
 @ビンや缶、タバコなどのポイ捨て防止部会
 Aペットのふんの防止部会 
 Bピンクちらしや捨て看板部会
 の三部会で議論し、街の環境を守るための「まちをきれいにする市民条例」を制定。
 違反者には罰金、あるいは美化運動への参加を求めるユニークな条例で平成12年10月から施行します。
 

 進む大学と学校の連携
 平成12年3月、玉川大学(町田市)と教育活動の全面提携の協定を結ぶことができました。
 この試みは、すでに実績のある水泳指導だけでなく教科全般にわたって教育実習を年間通じて受け入れるという画期的な内容です。
 市内の学校にとっては「指導助手」として位置づけられ、大学にとっては教員を目指す学生が早い時期から教育の現場を体験できるという、全国初の試みとなります。
 

 ヴェルディ川崎のホームタウンに
 プロサッカーチームヴェルディ川崎はJリーグ発足以来、川崎市を拠点にして活動してきました。しかしチームの伸び悩みもあり東京に本拠地を移すことについて打診していましたが、いよいよ正式に2001年から稲城市が出資することで、東京移転が決定しました。
 稲城市がホームタウンであり、市民こぞって応援できるチームができたことはうれしい限りです。
 以上、代表的な施策を紹介しましたが、2001年から第三次長期総合計画が始まります。市民とのパートナーシップや豊かな緑を活用した総合的な環境計画の分野で特色ある事業を進めていきたいと思っています。
 

 地方主権(分権)の意味
 わが国は、国土の均衡ある発展を旨に国づくりを戦後一貫して進めてきました。
 全国どこに行っても格差のない行政サービスを受けられるように地方に対する財源措置が講じられてきました。また経済成長はいつかわが街も他の街と同じような施設を持つことを期待させるに十分でした。しかしバブル崩壊はこの期待を見事に打ち砕きました。
 中央集権的な行政システムは、補助金を貰う代わりに、国が作ったモデル通りの顔に整形手術するようなものです。駅前や公園やホールはできたものの、味気無い街の顔が全国に広がりました。
 地方主権の時代は、自分の顔は自分の責任と判断で創っていくことを宣言することです。
 そしてそのほうが、財源が効率的に使われているかどうか住民が評価でき、無駄のない個性的な街をつくることができます。地方主権社会の実現は、今の行きづまった日本の改革を進める大きなカギです。
 まさに安全、平等から自由と個性を重視する思想的転換と言えます。国際社会でも、コンプレックスをもって西欧社会に似せようとしてきたわが国が、自分の顔(国)に誇りを持つことが求められています。
 

 アイデンティティー・クライシス
 わが国の迎えている最大の危機は、いじめや学級崩壊や青少年犯罪の激増などの背後に隠れている、倫理の崩壊という本質的問題です。子どもたちが目標とする文化モデルを喪失しつつあることです。欧米のキリスト教に象徴される「罪の文化」に対して、日本は、他者からどう見られるのかという「恥」の文化であり、そのルーツはサムライに行き着きます。「恥をかくことは死ぬことよりつらい」という倫理観が生きていた時代もあったのです。しかし「恥の文化」は戦後、対人恐怖 症という神経症が減少するのに比例して、戦後衰退し続け、それに代わる倫理はまだ見いだせていません。
 私が空手を続けていることは前号(「青年よ故郷に帰って市長になろう」平成5年発刊)で紹介しました。武道の中には日本人の伝統的な心と身体(礼節・忍耐・闘争心の収め方)の在り方が博物館入りしないでまだ受け継がれています。私たちは21世紀を生きる「自由な心を持った新しいサムライ像」を育てていかねばと思っています。
 さらに21世紀は人間や環境のことを考えると「共生」と「循環」がキーワードとなるでしょう。そのとき私たちが受け継いできた仏教・儒教を土台としたわが国の文化に大きな意味を見いだせるような気がしてなりません。
 


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